富士川地域観光ガイド | ぶらり富士川

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富士川地域とは

山梨県の南西部、富士山の西側に位置する5つの町(市川三郷町、早川町、身延町、南部町、富士川町)から構成される地域です。山梨県内では峡南(きょうなん)地域ともよばれます。

甲府盆地から南に駿河湾へ流れる日本三大急流の富士川を中央に、西に富士山、東には南アルプスを望む自然豊かな地域です。中世に勇名をはせた武田氏などの甲斐源氏発祥の地ともいわれ、日蓮宗総本山の身延山久遠寺などの寺社、和紙や印章、硯といった伝統工芸など様々な歴史文化的資産も脈々と継承されています。

平成29年に5町とJR東海で構成する富士川地域・身延線沿線観光振興協議会と山梨県が「峡南歴史・文化ツーリズム構想」を策定し、富士川地域の観光産業の活性化と地域経済の発展をめざした取り組みを地域の住民の方々と一緒に進めています。
「富士の裏側にある日本の原風景」である富士川地域をぜひ訪れてみてください。訪れるたびに違う発見があります。

市川三郷町の歴史を遡ると起源は古く、葛籠沢の石仏遺跡や大木の宮の前遺跡、大塚の北原一帯からは、縄文・弥生時代の貴重な文化遺産が多数出土しています。また、曽根丘陵付近には大塚古墳やエモン塚古墳、鳥居原狐塚古墳、伊勢塚古墳などの前方後円墳や円墳が集中しています。平安時代に置かれた荘園である市河荘は、甲斐の国の文献にみられる最初の荘名となっています。
また、平安時代中期には、甲斐の国から朝廷に紙や紙の原料となる麻を貢進したと文献に記されており、すでに当地を中心に和紙の生産が行われていたことがうかがえます。

12世紀初め、甲斐源氏の祖とされる新羅三郎義光の子、源義清が荘官として市河荘に下向したといわれていることから、甲斐源氏発祥の地と言い伝えられています。
武田信玄公の時代には、現在の歌舞伎文化公園の一帯に、信玄公の弟にあたる一条信龍の館があったとされており、当所は別名上野城と呼ばれ、往時、武田家の能係りを努めていたのが、初代団十郎の曽祖父であり、信龍の家臣として、この地に居を構えていたことから、市川団十郎発祥の地として全国に発信しています。

また、信玄公時代の烽火が当地の花火産業の始まりになったとされており、現在では神明の花火に毎年多くの観光客が訪れます。
江戸時代に入ると、徳川家康の命を受けた角倉了以により富士川舟路が開削され、高瀬舟が運行されます。黒沢には鰍沢、青柳とともに河岸が置かれ、当地は甲州一円から松本諏訪藩に至る物流の要衝として活況をみせました。
武田信玄公の時代に庇護されていた市川和紙は、江戸時代にも幕府の御用紙となり、世襲の肌吉衆によって引き継がれ、諸役御免で名字帯刀を許されるなどの特権を認められていたといわれています。
明治初期の甲府の水晶加工技術業の発展に伴い、水晶印の行商から始まった印章彫刻技術は、町の基幹産業に発展しました。また、この時代、一瀬益吉氏によって桑の最良品種である一瀬桑が発見され、以降、奨励品種として全国の養蚕業発展に貢献しました。

  • 代表的な地域資源
    歴史 甲斐源氏旧跡、古墳、表門神社、薬王寺、七福神(巡り)
    文化 神明の花火、山田の神楽獅子、浅間神社太々神楽、一之酉の舞、歌舞伎
    農業 甘々娘、大塚にんじん、桑
    産業 手漉き和紙、花火、印章、みたまの湯
    自然 四尾連湖、桜、蛾ヶ岳

早川町は、山梨県の南西部に位置し、南アルプスの山々に囲まれた自然豊かな町です。町名の由来となっている町の中央を流れる早川を中心に、大小の滝や渓谷が、美しい渓谷美を作り出しています。町土の 96%を森林が占め、新緑や紅葉の時期は特に美しく、周囲を囲む山々の四季折々の変化は鮮やかで、見るものの目を楽しませてくれます。
町の地形を形成した、大断層、糸魚川―静岡構造線が町を南北にはしり、その断層露頭部が国の天然記念物に指定されるなど、地質的にも貴重な場所となっています。

春には『南アルプス早川山菜まつり』秋には『南アルプス紅葉とそばまつり』が行われ、多くの観光客が訪れています。
温泉資源も豊富で、開湯 1300 年の歴史を有する「西山温泉」を始め、町内各地に温泉が点在し、温泉ファンを魅了しています。
早川流域に集落ができはじめたのは平安時代末頃からと言われており、鎌倉時代には、日蓮聖人の身延山開山をきっかけに、法華経の信仰と関わりを持つようになります。戦国時代から江戸時代にかけては、武田家の軍資金として象徴される、保金山や黒桂金山などが開発されました。

江戸時代には、身延山と信仰の山、七面山を結ぶ信仰の道に参詣客が多く訪れ、赤沢集落が講中宿として隆盛を極め、そのたたずまいは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
また第 46 代孝謙天皇が奈良田集落に8年間滞在したという伝説にも彩られています。
現在は、風光明媚な土地に惹かれた多くの芸術家が移住しており、アートの町としての一面も持っています。

  • 代表的な地域資源
    歴史 赤沢宿、奈良田、七面山
    文化 アート(芸術)
    農業 ジビエ、島根芋、えごま、茂倉うり
    産業 蜂蜜、白鳳味噌、こんにゃく、西山温泉
    自然 南アルプスユネスコエコパーク、羽衣白糸の滝、早川渓谷

身延町は、森林が約8割を占め、町の中央を北から南に日本三大急流の一つである富士川が流れ、その支流である早川、常葉川など多くの中小河川が流れ込んでいます。
富士川を挟んで東西に急峻な山地が連なり、平坦地は、富士川沿いとその支流の中・下流域に広がり、比較的まとまった集落や農地を形成しています。山間部の中小河川沿いには、中小集落が散在し、周辺に農地が拓かれています。

また、多様な地形・地質、さらに多様な動植物相を有しており、さらに本栖湖をはじめとする富士山の眺望地、山々と渓谷が織りなす四季の美しい景観を誇っています。
観光では、北には西嶋和紙をテーマとしたなかとみ和紙の里のある「中富エリア」、東には千円札のデザインである本栖湖、1200 年の歴史を誇る下部温泉郷や湯之奥金山博物館のある「下部エリア」が、また、南には日蓮宗総本山身延山久遠寺がある「身延エリア」など、三つのエリアに区分できます。
観光客の動向は、身延山久遠寺への参拝・観光客は年間約 120 万人、下部温泉の入湯者数は年間約 10 万人と推定されていますが、近年の観光スタイルの変化とともに減少を続けています。

観光資源としては、身延山と下部温泉のほか、湯之奥金山博物館、富士川クラフトパーク、なかとみ青少年自然の里、なかとみ和紙の里、ヤマメの里、さらに本栖湖、富士川、富士山の眺望を誇る山岳トレッキングコース、町内 JR 身延線駅周辺散策コ ース、道の駅しもべ・下部農村文化公園、みのぶゆばの里とよおか、一色のホタルの里など多くの資源があり、それぞれに誘客イベントも実施されています。特に、近年の体験志向の高まりを背景に、湯之奥金山博物館の砂金採り体験、なかとみ和紙の里の紙漉き体験をはじめ、道の駅富士川ふるさと工芸館やなかとみ青少年自然の里などでは各種体験メニューを提供しています。また、特産あけぼの大豆の枝豆オーナー制度と収穫体験、ゆばづくり、味噌づくり体験を実施するとともに、さらに都市住民との交流を通じて、農地や農業体験の場の提供など、農工商連携事業を強化しています。

  • 代表的な地域資源
    歴史 身延山久遠寺、宿坊、富士川、氷室神社
    文化 湯之奥金山、木喰上人
    農業 ゆば、あけぼの大豆
    産業 西嶋和紙、竹炭、下部温泉
    自然 桜、本栖湖

南部町は、森林が町土面積の約9割を占める緑豊かで自然に恵まれた地域であり、気温が年平均 15℃と比較的温暖で、降雨量は年間 2,500mmと、県内で最も高温多雨の地域となっています。
太平洋沿岸気候に属しているため、四季を通じて過ごしやすい地域となっており、こうした気候条件はスギ・ヒノキの生育に適し、高い人工林率を持っています。また、茶の栽培にも適しており、香りと味が良いヤブキタ種は「甲斐の緑南部茶」として広く親しまれています。

町内には、国の重要文化財である最恩寺仏殿をはじめ、由緒ある神社仏閣や天神堂遺跡、南部氏館跡などといった遺跡旧跡が今に残っています。
さらに徳間相撲甚句や内船歌舞伎などの民俗芸能、南部の火祭りなど数多くの文化財や伝統文化が大切に受け継がれています。
また特用林産物として出荷される「たけのこ」は南部町の特産品となっており、生産者の高齢化や後継者不足により一時は放置竹林が増えていましたが、民間団体の手によって再整備が進められていることから、今後の観光活用が期待されています。
観光では、中部横断自動車道の全面開通を見据え、新設される南部IC近くに、観光情報を提供するコーナーや歴史資料の展示スペースを設けた交流施設(道の駅)の整備を進めています。

  • 代表的な地域資源
    歴史 最恩寺、南部氏館跡、天神堂遺跡
    文化 南部火祭り、内船歌舞伎、徳間相撲甚句
    農業 たけのこ、南部茶
    産業 木材
    自然 福士川渓谷、天子湖、東海自然歩道、竹林

富士川町は、森林の割合が約 81%と高く、農用地が約 4%、宅地が 3%などとなっており、東は富士川、西は櫛形山や 源氏山と、豊かな自然資源に囲まれた環境にあります。
かつては富士川舟運を中心とした物資の往来や身延山参詣など、人の行き来の拠点として栄え、物資の輸送や人々の足が鉄道や自動車に代わった現代でも、静岡と甲府、あるいは長野方面を結ぶ交通の要衝にあります。

信州往還と駿州往還の交わる地点に位置していた富士川町鰍沢は、富士川舟運の要衝地であり、鰍沢河岸は流通の拠点として大きく発展していきました。この富士川舟運により様々な文化がもたらされ、特有の文化として発展しました。鰍沢に残る山車は、京都の「祇園ばやし」と江戸の「おはやし」の特徴が混ざり、山車の上半分が浅草風で、下半分が京都の御所車風といった、鰍沢ならではの造りになっています。
また、歴史・文化を今に伝える資源として、武田家や徳川家康ゆかりの神社である氷室神社や、幼児の癇の虫を切るという「虫切り加持」を行い全国から人が訪れる昌福寺、あじさい寺として県内外に知られる妙法寺など、本県でも有数の神社仏閣を有しています。さらに、落語「鰍沢」の舞台となった町でもあります。

産業では、県内最大のゆずの産地であり、また雨畑硯や臼、太鼓といった伝統工芸が根付く地域でもあります。
さらに、富士川町は自然景観にも優れ、高下地区からのダイヤモンド富士は県内外でも非常に人気が高く、プロ・アマ問わず多くの写真家が訪れます。
また、春には大法師公園に2000本の桜が咲き乱れ、県外から多くの観光客で賑わうとともに、平林地区の棚田は日本の原風景として人気のスポットとなっています。

  • 代表的な地域資源
    歴史 氷室神社、昌福寺、妙法寺
    文化 山車、落語「鰍沢」
    農業 ゆず
    産業 雨畑硯、臼、太鼓
    自然 大法師公園、ダイヤモンド富士、棚田
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